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ポーのひとりごと

双極Ⅱ型で生きるのだ!

双極Ⅱ型ブログ

掌に刻まれた歪な曲線 何らかの意味を持って生まれてきた証

もう10年以上の付き合いの、大事な友達がいる。

大人になってからの友達は貴重で

そうじゃなくても、私は彼女が大好きだ。

 

彼女は私の「灯台」みたいな存在。

地に足がついていて、私に光を照らしてくれて

そしていつも正しい。

 

私が所謂「病み垢」という

裏アカウントでブログやtwitterをやろうと思ったのは

簡単に言うと、楽だから。

何を呟いても、心を晒しても

それが自分です。と言える事が楽だからだ。

なんというか

「健常者」の中に混じって

精神疾患者」として存在する事に疲れたからだ。

 

彼女の言葉は優しい。

私が鬱病だろうと双極性障害だろうと

関係ないと言ってくれるし

どんな私でも大好きだと言ってくれる。

 

私の病気や病状の訴えに対して

ちゃんと寄り添ってくれるし、理解しようとしてくれる。

私はいつも涙が出ちゃうほど嬉しかったけど

ある時、どうしても埋められない捉え方の相違に気がついてしまった。

 

友達だから、寄り添いたい、理解したい

と思う事はつまり

寄り添えてない、理解できてない、って事なんだよね。

もちろんそれが悪いんじゃなくて、そんなの当たり前で

だけどただ、疲れてしまった自分に気がついた。

 

わかってくれようとするから説明するけど

いくら口で説明したって、わかってもらえない事がわかって

「わかってもらえないなぁ」と、悲しく思ってるのを知られると

「寄り添う気持ちがあるのに拒否られてる」と思われてしまう。

精神疾患者である自分と、そうではない他者の間に

壁を作っているのはこっちだと思われてしまう。

 

余裕のある時はいいけど

激ウツで自分が道端の石っころ見たいに感じてる時なんかは

ひねくれた考えに支配されちゃうから困る。

 

「どんな病気だってかまわないよ」

という言葉の前には

「病気なんかじゃない方がよりいいけど」ってのがあるだろう。

そして更に

「病気といっても普通の人と同じだよ」

「自分にだってそうゆうところもあるよ」

という意味はつまり

私の病気を病気だとは認めていないし、

それはつまり、私という人間が双極性障害であるという

アイデンティティを認めていない。

って事にはならないだろうか?

「自分だって」「世間のみなさんだって」

という言葉で

違うのに同じだと無理やり近づける事が

病気に寄り添う事なのかな?

 

寄り添ってあげたい、理解したいと思ってくれてる気持ちはわかるけど

どうしても「私だってみんなだって同じように大変な事や辛い事はあるんだよ」

的な感じに聞こえてしまう。

暇だから、余裕があるから、幸せだから、ナルシストだから

悪い事ばかり考えるんだろうという風に聞こえる。

そして多分そのとおりなんだろうと思ってしまう。

だんだん自分で自分の事を許せなくなってくる。

 

「病気」というのは

病院で検査した結果等、客観的に、誰が見てもそうだと判明したものであって

本人の申告による精神疾患

やはり本人の主観なので、正しい病気ではない。

と思っているんだなぁ、と捉えられずにはいられない。

 

肌の色のようにはっきり目にみえないから。

病気とそうでない事の境界線がはっきりしないから。

 

彼女が悪いわけでも冷たいわけでもなくて

それはもう、どこまでいっても仕方のないことで

そう、思ったら

なんだかもう疲れてしまって

一生懸命自分の事を説明するのも

言われた事に傷ついていても、平気な振りをしたりも

全部本当に疲れてしまった。

 

だからといって

こうして心の中を吐き出す事は

やっぱり私にとって必要で

だからどこか他の場所が必要だった。

 

双極性障害である自分が自分として自然でいられる

そんな場所が必要だったから

別のアカウントを作ってみよう、と思った。

 

だってもう治らないんだもの。

状態としてよくなる事はあっても

私はもう一生

双極性障害Ⅱ型の人間」として生きていくしかないのに

いつか取り除ける目の上のタンコブみたいに

分別して考えるしか、寄り添う術がないなら仕方ない。

 

分別されているのは

「友達としての私」ではなくて

「曖昧な精神疾患という自称病気を患ってる」「私という友達」

だけど、そこは=なのに。

私が双極で双極が私なのに。

 

あーだんだん、何言ってるかわかんなくなってきた。

つまりこーゆう事考えるのに疲れた。

なんとも言えない、ちゃんと説明もできない

もどかしい思いをすることに

とことん、疲れてしまったのです( ˘ーωー˘ )   

 

多分、今日の記事はちょっと偏ったものかもしれない。

あとで見たら

そんな事ないって思えるものかもしれない。

そんな事なかったって思えるようなら

その方がずっといい。

 

 

 

 

タイトル

Mr.Children : 掌

掌に刻まれた歪な曲線
何らかの意味を持って
生まれてきた証

 

 

だけど今だって

私は彼女が大好きだし

友達でいたいと思ってる。

 

彼女の生き方は今も私の灯台だ。

それはいつも

正しい道を暖かく照らしてる。

ただ私が

その道を歩けないだけだ。

どんなに歩きたくても

そうゆうふうにできていないだけ。